ここ数日、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を全巻、読み返してみました。
以前に読んだのはいつだろうかと考えましたが、思い出せません。
少なくとも、ベンチャーキャピタリストとして起業家と一緒に世界を変える挑戦に踏み出す前であったことは確かです。
つまり今回、ベンチャーキャピタリストになってから初めて「竜馬がゆく」を読んだのですが、坂本龍馬の考え方から「これは、起業家にとってとても参考になるな」と感じた部分が多くありました。
このブログでは、そういった点に触れていきたいと思います。
日々、事業を進めていく中で迷った際などに、何かのヒントになれば幸いです。
まず印象的なのが、龍馬が時流あるいは時運の重要性を頻繁に説いている点です。
例えば、
人が事を成すには天の力を借りねばならぬ。天とは時勢じゃ。時運ともいうべきか。時勢、時運という馬に乗って事を進める時は、大事は一気呵成に成る。その天を洞察するのが、大事をなさんとする者の第一の心掛けじゃ
あるいは、
下手な祈祷師は闇雲に祈る。上手の祈祷師は、まず雨が降るか降らないか、そこを調べ抜いたあげく、降りそうな日に出てきて護摩を炊く。されば必ず降る。天下のことも雨乞いと同じで、時運と言うものがありその時運を見抜かねばならぬ
他には、
物には時期がある。この案(大政奉還)を数ヶ月前に投ずれば世の嘲笑を買うだけだろうし、また数ヶ月後にひっさげて出ればもはやそこは砲煙の中で何もかも後の祭りになる。今だけが、この案の光るときだ
こういった発言が目立つ龍馬ですが、では何も努力せず、ただ口を開けて時運を待っているだけかといえば、もちろんそうではありません。
龍馬は、人の何倍も自分の足を使って、また独自の情報網も構築し、最新の情報を集め続けたのです。そして、龍馬のもとに集まった情報を求めて多くの人が訪れ、その人の集まりがまた情報が集めて、という好循環を生み出したのでした。
こうして構築した独自の情報網から得た情報で龍馬は日々考え、時運はこうであろう、と割り出していったのでした。
でも、そうした情報網を一足飛びに獲得することは難しそうです。龍馬はいったいどうやって、最初の一歩を踏み出したのでしょうか。そのために龍馬が活用したのが、自身の剣術の腕前です。
江戸時代の武士社会において、剣の腕が立つというのは、それだけで一目置かれます。そんな中、龍馬は若くして名門、千葉道場の塾頭まで務めたのですから、当時の受け取られ方としては、今で言えば、例えば若くしてハーバード大学の教授になったようなものだったのかもしれません。龍馬はそれを知ってか知らずか、うまく活用して多種多様な人物に会って情報を集めたのでした。
起業家としてヒントになる最初のポイントがここです。
確かにどんな事業も、龍馬の言うとおり時運が重要であることは間違いないです。そもそも時運を一切考えずに事業をしようとすることは危険ですが、いくら時運を読もうとしても誰もがリーチできるような情報ソースだけから時運を読もうとしていては、誰もが思いつくような発想に落ち着いてしまい、結局、あまり時運を読んでいないことに近しい結果になりそうです。
いかに自分だけの情報ソースを構築するか、そしてそのための第一歩として、自分が持つ固有のスキルやネットワーク(自分が気づかないだけで、きっと皆それぞれに独自のものがあるはずです、つまりは他者とは異なるスタート地点を持つこと)をうまく活用するか、ということが大切です。
その結果、「自分ならではの時運を読む仕組み」を創り上げていくのです。
皆さんも、日々、いろいろな書物を読んだり、人と会ったり、イベントに参加したり、ということをやっているかと思いますが、ただ闇雲に動くのではなく、こうして「自分ならではの時運を読む仕組み」の構築にどうつなげていくか、という意識をするだけで、変わってくる部分が多いのではないでしょうか。
さて、こうして龍馬は時運を読み、自分が命をかけるべき方向性を見出していきました。そして、次に取り上げるのは、そうした方向性(志)に対する龍馬の考え方です。
人の一生はたかが五十年そこそこ。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからこれを計算に入れてはいけない
幕末当時の平均寿命は50歳ほどだったための発言だと思いますが、つまるところ、時運を読み、方向性(志)を定めたら、その方向性へ向かって突き進め、途中で命が尽きようとも、それは自分でコントロールできない自然現象だから気にするな、というのです。
すさまじい覚悟です。
何事を成すにも、これくらいの覚悟がなければいけない、ということを龍馬は教えてくれています。
とはいえ、龍馬は方向性と、その方向性を進むための手段(道)とを切り分けて考えています。
例えば、
人の世に、道は一つと言う事は無い。道は百も千も万もある。道は1つだと信じて猪突する中岡(慎太郎)とは、いずれ俺は袂をわかたねばならぬ時が来るかもしれない
あるいは、
しかない、と言うものは世にない。人よりも一尺高くから物事を見れば、道は常に幾通りもある
スタートアップの世界においてもよく言われる、ビジョン(方向性)とプラン(道)の違いを、龍馬は理解していたのでしょう。
プランに固執しすぎると、そのプランが何らかの理由でとん挫した場合、そこで止まってしまいます。プランはあくまで、ビジョン実現のために存在する多くの手段のうちの一つであるという考えのもと、日々の行動を起こしていく、必要に応じてプランは柔軟に変更していく、その大切さを龍馬は教えてくれています。
さらに、そういった道を進めていくためには多くの人の協力が欠かせませんが、龍馬はその点についても、素晴らしい考え方をいくつも披露してくれています。
天誅、天誅というのは聞こえはよいが、暗い。暗ければ民はついて来ぬ
いくら正しいように聞こえても(天誅が正しいかどうかはさておき)、暗ければ結局のところ人はついてこずダメだ、という考え方。
わずかに他人より優れているというだけの知恵や知識が、この時勢に何になるか。そういう頼りにならぬものにうぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ
結局のところ、うぬぼれているところへは人は集まらず、大きなうねりは生まれてこない、という考え方。
相手を説得する場合、激しい言葉を使ってはならぬ。結局は恨まれるだけで物事が成就できない
その場の議論に勝っても相手の恨みを買うだけで、相手は考え方や生き方は変えない、結局、そういうところへは人は集まらない、という考え方。
金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ
何よりも金を先に気にする人のところへは、人は集まらない、という考え方。
男子はすべからく酒間で独り醒めている必要がある。しかし同時に、大勢と一緒に酔態を呈しているべきだ。でなければ、この世で大事業は成せぬ
男子に限定した話ではないと思いますが、多くの人を率いて大事業をなすためには、皆がバカ騒ぎしている中でも冷静である頭と、皆と一緒に心の底からバカ騒ぎできる心が必要、という考え方。
一つの概念をしゃべるとき、その内容か表現に独創性がなければ男子は沈黙しているべきだ
これも男子に限定した話ではないと思いますが、どこかの誰かが言っているようなことしか話せないようでは、人はついてこない、という考え方。
仕事というものは、全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとの二分は誰でも出来る。その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない
細かい下準備を人にやらせて、最後のおいしいところだけを持っていくような人では、もちろん誰もついてこない、むしろ大事業を成すには、その逆が必要である、という考え方。
などなど、龍馬はこうした考え方で多くの人を協力を得て、その短い生涯にも関わらず、非常に多くの事を成し遂げたのでした。
そんな龍馬の考え方のうち、私が最も好きなものが以下のものです。
自分で、自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ
自分のことをよく知り、その自分が活かされる舞台を自分自身でつくる。
他人が、たまたま自分が活きる舞台を作ってくれる、といった幸運を待っていてはいけない。
坂本龍馬は、大事業を成し遂げる、根っからの起業家だったのではないかと思います。
もし今の時代に坂本龍馬がいて、起業家としてその人生を歩んでいれば、どんな事業を立ち上げていたのでしょうか。
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